遠雷

見た映画の感想など

グリーンマイル感想。

人が他者に向ける感情は全て平等に暴力になり得る、ということを一貫して描いてくれていて、大変穏やかな気持ちで見終えた作品。フランク・ダラボン監督の人を見つめる目線の静謐さと、一切の容赦がない苛烈さがとても好き。曖昧に捏ねられた薄っぺらな愛だの絆だのの求肥がない分、恐ろしく優しく感じてしまう。

 

真実が誰もにとって良いものか、嘘が他者を救うのか。
人類において永遠の命題でもあるこのテーマを、非常に淡々と見せていく手腕に畏敬の念しかない。結論はごくごくシンプルで、“相手による”ということ。

例え話だが、色んな感情や思惑を寿司のように羅列されて、さあどうぞ召し上がれ、と見せられている感じ。海老はおいしいものだけれど甲殻類アレルギーの人にとっては猛毒だし、パクチーも食べられる人を選ぶ。けれどそれを偽ることなく提示されることで、選択権をこちらに与えてくれている。その表現の仕方に非常に高い社会性を感じる。
人が人と相互間でやり取りする感情に一律の正解などなくて、そこに生じる関係や感情によって左右される。当たり前のことのように思うけれど、これは本当に難しい。
愛してるの一言でさえ、誰かの首を刎ねることもある。それに気づかない人から降り注ぐ言葉の怖さを感じたことを、どうやって伝えたらいいのだろう。相手の中にない文脈の話をすることが、途方もない困難のように思えてしまう。

 

ポールをはじめとするグリーンマイルの職員は、他者に対して節度ある思いやりと愛を持つ、いわゆる“普通”の人々として描写される。そこに社会的上層部にコネを持つパーシーが鼻持ちならない人としてやってくる。囚人ならば何を言ってもいい、自分は守られている、という認識から、非常にわかりやすい差別意識を他者へと向ける。倫理観の欠如というよりも、何を言っても自分が糾弾されることもなく、立場が危うくなることもないことを知った上での発言と行動であることが胸糞が悪い。

“奇跡”を起こす男との対面、そして彼と過ごすうちに変化する看守たちの心中。やり取りされるコーンブレッドは、手のひらの上で崩れてしまう愛のようだった。
いつも誰かが見た気がして、感じた気がして、過去形でしか正確に捉えることができない感情の最たるものだと思う。

「あなたたちは良い人だ」と言われたことに対して、全員が曖昧に頷くような素振りをして目を伏せるところに、彼らの善性が描かれていて心憎い。彼らの想像のような善性などこの世にありはしない(あまりにも無垢過ぎて)だろうに、そうでなければ善とは言えないと思っている彼らは確かに良い人なのだと思う。

無実の彼を殺したくないと悩む看守たちに向かって、彼が言った「親切をしたと答えなさい」という言葉はキリスト教圏の言葉だなぁと一種の隔たりを感じた。想像してもきっと足りない、文化に根差した言葉だ。
このシーンはポールにとって、二度目の洗礼だったのではないかと思っている。奇跡の瞬間。
彼はここで分けられた時の長さに苦悩していくのだろうけど、その眼差しはシンと静かで凪いでいるようでもある。大きな諦念と自身の持つ罪悪の意識。贖罪のための長い生だとしたら、神様はとても意地が悪い。

 

彼にとってのグリーンマイルは果てなく遠いものだろうけれど、どうかその道行に安寧があらんことを願う。