遠雷

見た映画の感想など

アラジン感想。

 

「見たことない世界を見せてあげるよ」と手を引かれた先が、最高だった話をさせて欲しい。

 

実写版!!!アラジン!!!期待を大きく上回って2時間魔法の世界に旅立ったあと、晴れ晴れとした気持ちでこれを書いている。元々アニメや舞台から縁遠く、ほぼほぼ通してみたアラジンがこの作品なので、その点はご留意いただきたい。音楽と映像の美しさは圧巻で、これぞ天下のディズニー!底力をありありと感じた。

 

アラジンの成功譚に見せかけて、その実大変王道なジャスミンのサクセスストーリーかつ、アラジンのシンデレラストーリーだった。そこにジーニーの異国情緒をスパイスとしてひとつまみ。この解釈はいまの時代性をよく汲んでいるし、個人的にはとても良い傾向のように思う。なぜならば数が圧倒的に少ないので。古典作品の解釈の幅が広がり、世界が深まるのは大変喜ばしい。

 

さて作中、コソ泥で生計を立てるアラジンがふとした折々に「本当の僕を見つけて」と歌う。彼が心底欲しているのはこれまでプリンセスが願ってきた「真実の愛」だ。そのために迷い、アプローチし、悩む姿は等身大の若き青年であり、微笑ましくむず痒い。対するジャスミンは城を抜け出し、市井の人々の暮らしを垣間見、苦しむ貧民に心を痛め、より良い国の有り様を考える、心優しき若き君主として登場する。(もちろん最初はなかなかの世間知らずだ)

いっそ対称的な彼らだが、「自分の望みは恐らく叶わない(叶えるのが難しい)」という苦悩を共通して抱えている。

 

ジャスミンは「女は国王になれない」「意見を持つ女など必要とされていない」「美しいかどうかが問題だ」「十分恵まれているのに何を望む?」という呪いを周囲からかけられ続ける。

国のため、民のためを願い、為政の座を望もうにも、望む権利を剥奪されて鳥籠に閉じ込められる。美しくさえずるだけのカナリアでいろと周囲は言う。それに毅然としたノーを突きつける姿勢が彼女の美しさの根源である。実際、彼女は作中でも相手のこと(特に男性)をよく見ており、「私をジャムや宝石で買えるとでも?」「結局お父様に媚を売りたいのね」というセリフにも彼女の信念が滲んでいる。クレバーな皮肉も多い。

なにより武器を持たない彼女が唯一駆使できるものは、彼女の勤勉さに裏打ちされた「言葉」の力である。臣下を善の道へ進ませた演説は、ルース・ベイダー・ギンズバーグ氏、ミシェル・オバマ氏、ジャシンダ・アーダーン氏などを思い起こさせる。

ではなぜアラジンなのか?その理由は明朗で、彼は作中で唯一、彼女のスマートさ=聡明さを賞賛しているのだ。そしてそんな彼女に惹かれている。いい国王になりたいと言うジャスミンに素晴らしいねと言うアラジン。あなたもそう思う?と聞く彼女への返答が秀逸だ。

「僕の意見が必要?」

これには思わず立ち上がって拍手をしそうだった。彼女が願うことに対して、誰からの承認も必要ない。(そもそも彼女が女でなければ聞かなかっただろう)そう言ってくれる相手だからこそ、ジャスミンはアラジンを受け入れたのだと思う。この姿勢こそ、彼が作中で謳われる「ダイヤの原石」足り得る所以なのだ。

そんな彼自身がこの良さに全く気づいていないのも面映い。大切なものはすぐそばにあるのに。だからこそ、ここから転落していく(自滅していく)流れは辛い。しかし正直彼が調子に乗りきってジーニーと仲違いし、反省するまでの尺が短過ぎて一瞬気でも失ったかと疑った。閑話休題。最後、佳境を迎えてからハッピーエンドまでの伏線の拾い方も心憎い。

余談になるが、アラジンが王子のフリをして国王と王女に謁見する際のしどろもどろさ(献上する品々に対する語彙の少なさ、過剰な遜りと尊敬語の重ね方)の描写に、現代における貧富の格差の表現が、正しい知識に対してアクセスできるかどうか=情報量の格差とされているのが印象的だった。ジャムに固執するアラジンかわいいね。

 

この映画を見て育つ少年少女のことを思うと心が軽くなる。君は何にでもなれる。望みさえすれば。明日からの世界は昨日よりも少しだけ素晴らしいもののような気がする。A Whole New World……