遠雷

見た映画の感想など

グレイテストショーマン感想。

私の魂が浮かばれる感想に出会った。

nicjaga.hatenablog.com

 

そしてどうか一年越しにこの感想を書く私の臆病さを笑ってくれ、詰ってくれ。。絶賛の渦の中に晒されるのがしんど過ぎて、仲のいい友人達に話すことしかできなかった絶望の話を聞いて欲しい。

2018年、世界は何も変わらないし、いつでもお前の足は玄関マットだからマジョリティ様に踏んでいただけよ!ああ、なんて美しい世界だろう!と突きつけられて、絶望と怒りに苛まれたあの日のことを忘れない。
ラジオから流される絶賛の声、見てきた知人からの上気した声が辛くて悲しくて仕方がなかった。
そもそも某アイドルグループプロデューサーが絶賛!と謳われたコピーに違和感を感じた時点で私は気づくべきだった。この映画がそういう人向けであることに。
この世界のマジョリティが気持ちよく鑑賞できるように作られた成功譚の映画だった。

最高のキャストに最高の音楽。そこに対しては異論はない。音楽は疎い私でも素敵に聞こえたし、映像も美しかったと思う。逆に脚本がダメなだけで、こんなにも人は絶望できるものかと驚いた。途中から、お粗末でもいいお涙頂戴エピソードであってくれと何度祈ったことか。
2018年脚本を一からやり直してくれアワード堂々の受賞です。おめでとうございます!!!


プロモーションで見た「This is me」のオーディション動画に胸を打たれ、公開日を心待ちにし、大きめのハンドタオルを握りしめて劇場に臨んだあの日。それを湿らせたのは、皮肉にも「This is me」の曲が始まった瞬間だった。
彼らをどん底に突き落し、尊厳を切り刻むのは、よりにもよってバーナム自身である。彼らを仲間として表舞台に立たせた張本人が上流社会に目がくらみ、自身の団員の存在を羞恥しパーティの会場から締め出す。それにショックを受けた彼らは自身を奮い立たせて最高のパフォーマンスを発揮する。
こんなに醜悪なシーンで、こんなにも素晴らしい曲をかけないでくれ……。胸が張り裂けそうなくらい悲しくて悔しくて涙が出てきた。

彼らにバーナムやフィリップのように、さめざめと悲しむことは許されていない。
なぜならば彼らはマジョリティである彼らの言葉で奮起し、笑い、手を差し伸べるための装置でしかないからだ。ペットを飼って「こんなに言うことを聞かないなんて思わなかった」という人と同じくらい軽薄で浅はかな考えがにじみ出ていてしんどい。かつて(もしくは今なお)女は男にとっての褒賞であり、聖母であり、奴隷であるという言説となんら変わらない。

 

この映画は、マイノリティは“人間”ではないじゃん?と当たり前のような顔をして笑っているのだ。

 

なぜマイノリティであるというだけで蔑まれ、尊厳を踏み躙られても、力強く現実に立ち向かわねばならないのか。なぜマイノリティだけが、清く正しく生きねばならないのか。なぜマイノリティは蔑み踏みつけてきた相手までもを赦し、共に生きねばならないのか。

破天荒な夫に翻弄される妻、まわりに疎まれる子どもたち、それを感知することなく商品に夢中になる夫。結局憎みきれずに元の鞘に納まる描写も頭をかきむしりたくなるシーンの1つである。不協和音の稚拙さもさることながら、当人達が納得して選択するものでなければ、それは社会からの“圧力”にしか見えない。“真っ当”であれという呪い、“愛”という致死性の毒。
愛があれば乗り越えられるなど詭弁だし、その都合のいい愛はバーナムにとってのものでしかない。彼女を切りつけた「君にはわからない!」の何倍も彼女を切りつけたことに気づかないバーナムの鈍感さはマジョリティの傲慢そのものだ。

クズがクズであることが問題なのではない。クズが行うことがマジョリティであるがゆえに看過され、あたかも美談のように語られることが問題なのだ。
ステレオタイプを強要するような、差別の構造を容認するような世界は糞食らえだと、多くの人が語ってきたではないか。少しずつ良くしようと必死で戦ってきた人も、戦う人もいる。それなのにまだこの価値観が素晴らしいと刷り込み直す気か。断固として拒否する。


なぜこのストーリー……なぜこの展開でオッケーを出した……脚本、お前のことだぞ。絶対に許さない。
続編の話を聞くだけで心が濁るので、うっかりやらかしてしまいましたで蓋をして永久に開けることなく忘れさせて欲しい。ただそれだけを強く祈る。